Tz日記

Tzと申します。不定期に好きなコンテンツを語ったりします。

BLUE REFLECTION RAY/澪・TIE/帝感想 駒川詩とは何だったのか

 夏ですね。

 夏と言えば現在Steamで、6/24~7/8の期間中、「BLUE REFLECTION」シリーズ初代作である「BLUE REFLECTION 幻に舞う少女の剣」と最新作「BLUE REFLECTION TIE/帝」がセール中です。

 

 それだけでなく、ニコニコ生放送では七夕の翌日である7/8と7/9に「BLUE REFLECTION RAY/澪」の全話一挙放送が行われます。

 

 どれも夏を舞台にした非常に素晴らしい作品なので、まだ見たことがない・プレイしたことがないという方は是非この機会に触れていただければと思います。アニメはゲームと一応繋がりがありますが、主にアニメ内で話が完結しているので、まずはdアニメストアなどでも配信されていて見るハードルが低いアニメから入るのも良いと思います。

animestore.docomo.ne.jp

 さて、この記事では、ブルリフシリーズの中でも特に「ブルリフ澪」と「ブルリフ帝」に着目し、これら2作品にまたがって登場するヴィラン兼ヒロインである駒川詩について話したいと思います。当然、「澪」と「帝」の内容についてはガンガンネタバレすることになりますので、まだ見ていない・プレイしていないという方は見てから読むかネタバレを食らうことを承知で読むかしていただきたいと思います。

駒川詩について

 本記事では駒川詩という存在の軌跡を追い、彼女が何を思い、何を求めていたのかについて考察することを目的としています。そのためには、まずは駒川詩という人物が表面的にはどのような人物であるか明らかにする必要があるでしょう。

「BLUE REFLECTION RAY/澪」 公式サイトより

 駒川詩はブルリフシリーズ2作品目であるアニメ「BLUE REFLECTION RAY/澪」において、主人公の平原陽桜莉たちと敵対する勢力である「ルージュリフレクター」の一人として初登場します。彼女は「友情や愛というものは幻想であり、この世で唯一信じられるのは痛みだけ」という強烈な思想を抱いており、作中では一貫してその思想に則り、主人公たちやゲストキャラクター、果ては味方であるはずのルージュリフレクターのメンバー(主に山田)までおちょくり、煽り倒します。駒川詩が好きだという人の多くは、「澪」におけるこのトリックスターっぷりに魅了されたのではないでしょうか?

 しかしシリーズ3作品目である「BLUE REFLECTION TIE/帝」において、彼女の道化の仮面は半ば無理やりに引き剝がされることになります。その時に見せた彼女の素顔と、「ほんとうに望んでいたもの」について私は完璧に打ちのめされてしまい、今こうしてブログを書いています。

 以下の章では各タイトルにおける駒川詩の動向についてより細かく分析し、その時彼女が何を思い、何を求めていたのかについて考えていくこととしましょう。

「澪」における駒川詩

 「澪」において、駒川詩は上述の通り敵勢力である「ルージュリフレクター」の一人として活動しています。ルージュリフレクターの目的は「人々の想いを管理すること」であり、そのために人々の想いが集う空間である「コモン」への扉を開き、支配しようとしています。駒川詩もまたこの目的のために、「コモン」の扉の鍵となる少女たちの心の欠片「フラグメント」を抜き取るべく暗躍しています。

 「澪」における駒川詩は、作中の誰よりもやりたい放題している超・問題児です。「澪」本編中、彼女は自身の思想に基づき、「痛みを得るためにバディである山田仁菜を煽り、自分を罵倒・攻撃するように仕向ける」「SNS上で『マゾっ子ウタちゃん』と名乗り、一般人を煽ってはブロックされるのを楽しむ」などなど、常軌を逸した言動を繰り返します。このような狂気的な言動を毎回のごとく行いつつも、どこか小物臭さが抜け切れていない部分も相まって、基本的に陰鬱な雰囲気が続く「澪」において彼女は「ネタ」としてある種の清涼剤になっていると同時に、「寄り添い合い」を是とした本作品に対する最大のアンチテーゼにもなっています。

 「澪」の駒川詩を語る上で重要なのは、彼女にとって「痛み」が単なる快楽でなく、コミュニケーションの代替手段になっていることです。第5話「なにも見えないわたし」で彼女は自分が痛みのみを信じるようになった理由を語りますが、それは「かつては自分も周囲と繋がりを持っていたが、その中で自分は何も感じられなかったこと、そんなある日、偶然通り魔に遭ったことをきっかけに、痛みを通して初めて生の実感を得たこと」というものでした。しかし、その割には彼女は作中を通して積極的に自傷行為に走るようなそぶりを見せません(過去回想では一部そういった行為を匂わす描写がありましたが…)。あくまで「他人を傷付け、他人から傷付けられること」に執着しています。このように「他者との傷付け合い」に拘る姿勢からは、駒川詩が痛みのやり取りを通常のコミュニケーションの代替手段として捉えていること、そして根っこの部分では彼女もまた他者との繋がりを求めていることが窺えるでしょう。

 「澪」劇中において、駒川詩は基本的にどんな仕打ちを受けても、どんな状況になろうとも飄々とした態度を崩そうとしません。そんな彼女が、珍しく感情を爆発させて取り乱した場面が二つあります。一つは第5話「なにも見えないわたし」で一度暴走しかけた由紀姫のフラグメントが、由紀姫が都の救いの手に応じることで自ら鎮まった時。もう一つは、第23話「すべてを手にしたきみ」で、かつてのバディである山田仁菜と対峙した時です。
 前者については、正直私は初見時、彼女がここまで取り乱したことにあまり理由を見出せませんでした。フラグメントを取り逃したことはそれまでにも何度かあったし、この件だけ取り立てて絶望する理由があるようには思えなかったからです。しかし、「帝」をプレイした後見返すことによって合点がいきました。この回のゲストキャラクターである由紀姫、実は色々な面で駒川詩と重なるように配置されたキャラだったっぽいんですよね……駒川詩は自分と似た要素を持っていた由紀姫の元に都という救いの手が差し伸べられ、由紀姫が自らその手を取ることを選択したことに絶望したのではないでしょうか。ちなみにこの回で駒川詩が由紀姫を絶望させ、フラグメントを暴走させるためにかけた煽りはかなりの割合で帝の駒川詩(つまり過去の駒川詩)にブッ刺さっています。見ていると色々と面白いです。
 後者については、彼女は山田の攻撃に自分が求めていた怒りや憎しみといった感情がこもっていないこと、そして彼女が「お前の心の奥底と向き合ってみたい」と言ったことに激昂しています。「心の奥底と向き合う」とは、常々駒川詩が否定している「友情や愛」に連なる行いであり、かつてバディを組んで痛みを与えられたがっていた(駒川詩の価値観で見れば親しみを持っていた)山田から、そのような言葉を投げかけられたことに怒ったのではないでしょうか。これら二つの場面は、どちらも「自分が共通点を見出していたり、親しみを感じていたりした相手が自分を否定するような行動をとる」という点が一致しています。そう考えると、やはり駒川詩では心の奥底では自分に共感してくれる存在を望んでいたんじゃないかなと感じられます。かつて山田は駒川詩のことを「孤独を冷笑で誤魔化しているありきたりなメンヘラ女」と評していました(この時も駒川詩は普段罵倒された時と違って不満を示していました)が、ありきたりかどうかはともかく駒川詩が常に「孤独」な存在だったのは間違いないんじゃないかなと感じます。

 「ブルリフ澪」の物語は、ラスボスである紫乃に対して陽桜莉と瑠夏が手を差し伸べ、紫乃がその手を取ることによって幕を閉じます。しかし、その中においても駒川詩は改心することなく、妖しげに笑いながらフェードアウトしていきます。彼女の物語は「帝」へと続いていくことになります。

「澪」~「帝」における動向

 時系列上この部分に当たるはずであるスマホゲーム「BLUE REFLECTION SUN/燦」がまだリリースされていないため、具体的な動向は不明です。しかし、「帝」で語られた事実から、断片的ではありますが足跡を辿ることができます。

 「帝」で明らかになった事実としては、

  • 「澪」本編後もルージュリフレクターとして暗躍し、平原姉妹や「燦」のキャラクターたちと敵対していたこと
  • 神(オリジン)と接触し、その力を行使できるようになったこと
  • オリジンによる世界の再構成に乗じ、再構築後の世界を「想いや絆といった生温いものが存在しない世界」にしようとしたこと
  • オリジンによる再構築後の世界が「人間が存在しない世界」だと知り、「それでは誰も自分に痛みを与えてくれない」という理由で激昂、袂を分かったこと

などが挙げられます。また、オリジンと接触することで得た力を用いて平原姉妹に失踪した母親の居場所を伝え、彼女たちが再度母親に拒絶されて傷付くように仕向けるなど、痛みに関する嫌がらせ(コミュニケーション)も相変わらず行っていたようです。

「帝」における駒川詩

 「帝」における彼女は「オリジンによる世界の再構築から雫世界への避難に成功したリフレクターの一人」として登場します。この際に彼女は記憶を失っており、それまでとは打って変わって非常に生真面目で献身的な性格になっています。その一方で、「澪」においてはエキセントリックさでカモフラージュされていた、彼女の共感性の著しい低さや孤独といった部分もまた強調されて描かれています。

 「帝」作中において、彼女は常に「感情を理解できない」ことに悩み、そんな自分を「壊れている」と評しています。「澪」においては一セリフとして流された、「何も感じられない私はこの世に存在していないのと同じ」という彼女の思考の根源を、「帝」ではこれでもかというくらいに抉ってきます。誰かと共感したい、繋がりを持ちたい、しかし自分は感情というものを理解できない、だから自分は壊れている……「帝」における彼女の言動は、それまでの飄々とした態度からは想像できないくらい切実です。好きなものが「論理的なもの」で嫌いなものが「非論理的なもの」、合理的な振舞いしかできず、そんな自分に嫌気がさしている彼女からは、人間というよりはアンドロイドや上位存在か何かのような印象を受けます。

 

 作中、主人公である星崎愛央たちは駒川詩の心が実体化した世界である「詩のココロトープ」に入ります。そこで彼女たちを待ち受けていたのは、生まれつき与えられた愛を理解することができず、それ故に常に孤独だった駒川詩の半生でした。駒川詩が登場した「澪」は、何らかの理由で家族から正常に愛が注がれなかった登場人物が大半でした。しかし駒川詩は違いました。彼女は祖母から愛されていたのです。

 しかし彼女は、祖母が自分を愛してくれる理由が最期まで分からないままでした。祖母だけでなく、駒川詩は誰の感情も感じ取ることができない、共感性が生まれつきゼロの人間だったのです。

 理解できないものから逃げるように、彼女は祖母から距離を置いてしまいます。そして祖母の葬儀の日、彼女は久しぶりに訪れた祖母の家で、一面のひまわり畑を目にします。そのひまわりは、幼き日に彼女が一瞬だけ興味を示した花を祖母が懸命に育て上げたものでした。それを目にした時、彼女は自分の中にも理解できない感情が生まれたのを感じます。「帝」における駒川詩のストーリーは、祖母との思い出をなぞりながら、未だ理解できていない自分のひまわり畑に対する感情と向き合っていく……という形で進行していきます。
 ちなみに、彼女のココロトープで流れるBGM「黄金律アンチノミー」は、本当にあの駒川詩のテーマソングなのかと疑わしくなるくらい繊細でありながら、どこか力強さも秘めた曲調となっています。「澪」の彼女しか知らない方にも、ぜひ一度は聴いていただきたい名曲です。というか「帝」のBGMは本当に名曲揃いです。筆者は「E.SYNAPSE」と「希望的アストライア」が好き。ブルリフシリーズは今すぐサントラのサブスクを解禁して下さい。

 始めは自分は壊れていると言って諦めていた駒川詩ですが、愛央や陽桜莉との交流や雫世界での経験を経てもう一度自分と向き合う覚悟を固め、自分が祖母からずっと与えられ続けてきていたものや、それに対する自分の感情に自分なりの答えを見つけようと模索していきます。その果てに、「痛み」ではない自分が本当に求めていたものを見つけて、自分を肯定できるようになる……「帝」における駒川詩の描かれ方は、「澪」における彼女の本質が「孤独」であり、何らかの形で自分にも理解できる繋がりを模索し続けた結果「痛み」に行き着いたという解釈を裏付けるものだったのではないでしょうか。

それはそれとして「澪」の頃の駒川詩はペルソナとして襲い掛かってくる!!

自分にとって駒川詩とは何だったのか

 初めて「ブルリフ澪」を見た時、自分は駒川詩は現実離れしたキャラクター性で話を回す面白ヴィランとしか思っていませんでした。だから、「帝」で駒川詩の本質が明かされた時、頭をフライパンで殴られたような衝撃を受けました。そこにいたのは、間違いなく自分の身にも覚えがある「人間」だったからです。前章で駒川詩は人間というよりアンドロイドや上位存在に見えると書きましたが、その根底にある「感情が理解できない、理解できないものは嫌だ」という感覚は、誰しも多少は抱えているものだと思います。彼女はたまたまその感覚が他人より強かっただけに過ぎず、普通に人との繋がりを求めるし普通に傷付いたり悲しんだりする存在だったんです。彼女が痛みに固執していたのも、本当に痛みを愛していたというよりは、あまりにも共感性が低かったために「痛み」しか他人と分かち合うことができなかったからなんです。自分はこの部分において、駒川詩はエポックメイキングなキャラクターだなと感じました。友情や愛、あるいは相互理解といったテーマを取り扱った作品において、「そもそもそういった概念が理解できない」という存在はあまり見てきたことがなかったからです。あえて最近読んだ作品から近い存在を挙げるなら、「さよなら幽霊ちゃん」の氏優莉先輩でしょうか?

「生まれつき抱えてきた生きづらさと折り合いをつけながら生きていく」という点においては、「またぞろ。」にも近いかもしれません。最近、これらのような人間関係や人間個人にフォーカスするタイプの作品は、いわゆる「陰キャ」がメインに置かれていた時代からも脱し、更なる複雑化を見せているように感じます。そういった環境の中で、駒川詩もまた彼女だけの悩みを抱えていました。そして彼女は「痛み」という結論に至り、自己完結してしまった。このような完全なるニヒリズムに陥ってしまった存在をどうやって救えば良いのかというテーマは、これからの日常系において積極的に取り組まれていくべき課題だと感じます。

 「澪」において彼女が被っていた仮面は、「帝」で記憶喪失という形で半ば強引に引き剝がされました。それにより彼女はもう一度周囲や自分自身と向き合うチャンスを得ます。そのことに嬉しさを覚える半面、「澪」時代の彼女にも誰かが寄り添い、救おうと手を差し伸べることができたなら、その先に彼女に救いはあったのかということもぜひ見てみたいと思いました。「澪」と「帝」の間の話を取り扱うであろう「燦」に期待したいですね。

 とにかく「BLUE REFLECTION」シリーズは本当に面白いので、ぜひ皆さん触れてみてください。どれかに触れた人は、その勢いで他のタイトルにも触れてみて下さい。

それでは今回はこのあたりで。ありがとうございました。