Tz日記

Tzと申します。不定期に好きなコンテンツを語ったりします。

BLUE REFLECTION RAY/澪・TIE/帝感想 駒川詩とは何だったのか

 夏ですね。

 夏と言えば現在Steamで、6/24~7/8の期間中、「BLUE REFLECTION」シリーズ初代作である「BLUE REFLECTION 幻に舞う少女の剣」と最新作「BLUE REFLECTION TIE/帝」がセール中です。

 

 それだけでなく、ニコニコ生放送では七夕の翌日である7/8と7/9に「BLUE REFLECTION RAY/澪」の全話一挙放送が行われます。

 

 どれも夏を舞台にした非常に素晴らしい作品なので、まだ見たことがない・プレイしたことがないという方は是非この機会に触れていただければと思います。アニメはゲームと一応繋がりがありますが、主にアニメ内で話が完結しているので、まずはdアニメストアなどでも配信されていて見るハードルが低いアニメから入るのも良いと思います。

animestore.docomo.ne.jp

 さて、この記事では、ブルリフシリーズの中でも特に「ブルリフ澪」と「ブルリフ帝」に着目し、これら2作品にまたがって登場するヴィラン兼ヒロインである駒川詩について話したいと思います。当然、「澪」と「帝」の内容についてはガンガンネタバレすることになりますので、まだ見ていない・プレイしていないという方は見てから読むかネタバレを食らうことを承知で読むかしていただきたいと思います。

駒川詩について

 本記事では駒川詩という存在の軌跡を追い、彼女が何を思い、何を求めていたのかについて考察することを目的としています。そのためには、まずは駒川詩という人物が表面的にはどのような人物であるか明らかにする必要があるでしょう。

「BLUE REFLECTION RAY/澪」 公式サイトより

 駒川詩はブルリフシリーズ2作品目であるアニメ「BLUE REFLECTION RAY/澪」において、主人公の平原陽桜莉たちと敵対する勢力である「ルージュリフレクター」の一人として初登場します。彼女は「友情や愛というものは幻想であり、この世で唯一信じられるのは痛みだけ」という強烈な思想を抱いており、作中では一貫してその思想に則り、主人公たちやゲストキャラクター、果ては味方であるはずのルージュリフレクターのメンバー(主に山田)までおちょくり、煽り倒します。駒川詩が好きだという人の多くは、「澪」におけるこのトリックスターっぷりに魅了されたのではないでしょうか?

 しかしシリーズ3作品目である「BLUE REFLECTION TIE/帝」において、彼女の道化の仮面は半ば無理やりに引き剝がされることになります。その時に見せた彼女の素顔と、「ほんとうに望んでいたもの」について私は完璧に打ちのめされてしまい、今こうしてブログを書いています。

 以下の章では各タイトルにおける駒川詩の動向についてより細かく分析し、その時彼女が何を思い、何を求めていたのかについて考えていくこととしましょう。

「澪」における駒川詩

 「澪」において、駒川詩は上述の通り敵勢力である「ルージュリフレクター」の一人として活動しています。ルージュリフレクターの目的は「人々の想いを管理すること」であり、そのために人々の想いが集う空間である「コモン」への扉を開き、支配しようとしています。駒川詩もまたこの目的のために、「コモン」の扉の鍵となる少女たちの心の欠片「フラグメント」を抜き取るべく暗躍しています。

 「澪」における駒川詩は、作中の誰よりもやりたい放題している超・問題児です。「澪」本編中、彼女は自身の思想に基づき、「痛みを得るためにバディである山田仁菜を煽り、自分を罵倒・攻撃するように仕向ける」「SNS上で『マゾっ子ウタちゃん』と名乗り、一般人を煽ってはブロックされるのを楽しむ」などなど、常軌を逸した言動を繰り返します。このような狂気的な言動を毎回のごとく行いつつも、どこか小物臭さが抜け切れていない部分も相まって、基本的に陰鬱な雰囲気が続く「澪」において彼女は「ネタ」としてある種の清涼剤になっていると同時に、「寄り添い合い」を是とした本作品に対する最大のアンチテーゼにもなっています。

 「澪」の駒川詩を語る上で重要なのは、彼女にとって「痛み」が単なる快楽でなく、コミュニケーションの代替手段になっていることです。第5話「なにも見えないわたし」で彼女は自分が痛みのみを信じるようになった理由を語りますが、それは「かつては自分も周囲と繋がりを持っていたが、その中で自分は何も感じられなかったこと、そんなある日、偶然通り魔に遭ったことをきっかけに、痛みを通して初めて生の実感を得たこと」というものでした。しかし、その割には彼女は作中を通して積極的に自傷行為に走るようなそぶりを見せません(過去回想では一部そういった行為を匂わす描写がありましたが…)。あくまで「他人を傷付け、他人から傷付けられること」に執着しています。このように「他者との傷付け合い」に拘る姿勢からは、駒川詩が痛みのやり取りを通常のコミュニケーションの代替手段として捉えていること、そして根っこの部分では彼女もまた他者との繋がりを求めていることが窺えるでしょう。

 「澪」劇中において、駒川詩は基本的にどんな仕打ちを受けても、どんな状況になろうとも飄々とした態度を崩そうとしません。そんな彼女が、珍しく感情を爆発させて取り乱した場面が二つあります。一つは第5話「なにも見えないわたし」で一度暴走しかけた由紀姫のフラグメントが、由紀姫が都の救いの手に応じることで自ら鎮まった時。もう一つは、第23話「すべてを手にしたきみ」で、かつてのバディである山田仁菜と対峙した時です。
 前者については、正直私は初見時、彼女がここまで取り乱したことにあまり理由を見出せませんでした。フラグメントを取り逃したことはそれまでにも何度かあったし、この件だけ取り立てて絶望する理由があるようには思えなかったからです。しかし、「帝」をプレイした後見返すことによって合点がいきました。この回のゲストキャラクターである由紀姫、実は色々な面で駒川詩と重なるように配置されたキャラだったっぽいんですよね……駒川詩は自分と似た要素を持っていた由紀姫の元に都という救いの手が差し伸べられ、由紀姫が自らその手を取ることを選択したことに絶望したのではないでしょうか。ちなみにこの回で駒川詩が由紀姫を絶望させ、フラグメントを暴走させるためにかけた煽りはかなりの割合で帝の駒川詩(つまり過去の駒川詩)にブッ刺さっています。見ていると色々と面白いです。
 後者については、彼女は山田の攻撃に自分が求めていた怒りや憎しみといった感情がこもっていないこと、そして彼女が「お前の心の奥底と向き合ってみたい」と言ったことに激昂しています。「心の奥底と向き合う」とは、常々駒川詩が否定している「友情や愛」に連なる行いであり、かつてバディを組んで痛みを与えられたがっていた(駒川詩の価値観で見れば親しみを持っていた)山田から、そのような言葉を投げかけられたことに怒ったのではないでしょうか。これら二つの場面は、どちらも「自分が共通点を見出していたり、親しみを感じていたりした相手が自分を否定するような行動をとる」という点が一致しています。そう考えると、やはり駒川詩では心の奥底では自分に共感してくれる存在を望んでいたんじゃないかなと感じられます。かつて山田は駒川詩のことを「孤独を冷笑で誤魔化しているありきたりなメンヘラ女」と評していました(この時も駒川詩は普段罵倒された時と違って不満を示していました)が、ありきたりかどうかはともかく駒川詩が常に「孤独」な存在だったのは間違いないんじゃないかなと感じます。

 「ブルリフ澪」の物語は、ラスボスである紫乃に対して陽桜莉と瑠夏が手を差し伸べ、紫乃がその手を取ることによって幕を閉じます。しかし、その中においても駒川詩は改心することなく、妖しげに笑いながらフェードアウトしていきます。彼女の物語は「帝」へと続いていくことになります。

「澪」~「帝」における動向

 時系列上この部分に当たるはずであるスマホゲーム「BLUE REFLECTION SUN/燦」がまだリリースされていないため、具体的な動向は不明です。しかし、「帝」で語られた事実から、断片的ではありますが足跡を辿ることができます。

 「帝」で明らかになった事実としては、

  • 「澪」本編後もルージュリフレクターとして暗躍し、平原姉妹や「燦」のキャラクターたちと敵対していたこと
  • 神(オリジン)と接触し、その力を行使できるようになったこと
  • オリジンによる世界の再構成に乗じ、再構築後の世界を「想いや絆といった生温いものが存在しない世界」にしようとしたこと
  • オリジンによる再構築後の世界が「人間が存在しない世界」だと知り、「それでは誰も自分に痛みを与えてくれない」という理由で激昂、袂を分かったこと

などが挙げられます。また、オリジンと接触することで得た力を用いて平原姉妹に失踪した母親の居場所を伝え、彼女たちが再度母親に拒絶されて傷付くように仕向けるなど、痛みに関する嫌がらせ(コミュニケーション)も相変わらず行っていたようです。

「帝」における駒川詩

 「帝」における彼女は「オリジンによる世界の再構築から雫世界への避難に成功したリフレクターの一人」として登場します。この際に彼女は記憶を失っており、それまでとは打って変わって非常に生真面目で献身的な性格になっています。その一方で、「澪」においてはエキセントリックさでカモフラージュされていた、彼女の共感性の著しい低さや孤独といった部分もまた強調されて描かれています。

 「帝」作中において、彼女は常に「感情を理解できない」ことに悩み、そんな自分を「壊れている」と評しています。「澪」においては一セリフとして流された、「何も感じられない私はこの世に存在していないのと同じ」という彼女の思考の根源を、「帝」ではこれでもかというくらいに抉ってきます。誰かと共感したい、繋がりを持ちたい、しかし自分は感情というものを理解できない、だから自分は壊れている……「帝」における彼女の言動は、それまでの飄々とした態度からは想像できないくらい切実です。好きなものが「論理的なもの」で嫌いなものが「非論理的なもの」、合理的な振舞いしかできず、そんな自分に嫌気がさしている彼女からは、人間というよりはアンドロイドや上位存在か何かのような印象を受けます。

 

 作中、主人公である星崎愛央たちは駒川詩の心が実体化した世界である「詩のココロトープ」に入ります。そこで彼女たちを待ち受けていたのは、生まれつき与えられた愛を理解することができず、それ故に常に孤独だった駒川詩の半生でした。駒川詩が登場した「澪」は、何らかの理由で家族から正常に愛が注がれなかった登場人物が大半でした。しかし駒川詩は違いました。彼女は祖母から愛されていたのです。

 しかし彼女は、祖母が自分を愛してくれる理由が最期まで分からないままでした。祖母だけでなく、駒川詩は誰の感情も感じ取ることができない、共感性が生まれつきゼロの人間だったのです。

 理解できないものから逃げるように、彼女は祖母から距離を置いてしまいます。そして祖母の葬儀の日、彼女は久しぶりに訪れた祖母の家で、一面のひまわり畑を目にします。そのひまわりは、幼き日に彼女が一瞬だけ興味を示した花を祖母が懸命に育て上げたものでした。それを目にした時、彼女は自分の中にも理解できない感情が生まれたのを感じます。「帝」における駒川詩のストーリーは、祖母との思い出をなぞりながら、未だ理解できていない自分のひまわり畑に対する感情と向き合っていく……という形で進行していきます。
 ちなみに、彼女のココロトープで流れるBGM「黄金律アンチノミー」は、本当にあの駒川詩のテーマソングなのかと疑わしくなるくらい繊細でありながら、どこか力強さも秘めた曲調となっています。「澪」の彼女しか知らない方にも、ぜひ一度は聴いていただきたい名曲です。というか「帝」のBGMは本当に名曲揃いです。筆者は「E.SYNAPSE」と「希望的アストライア」が好き。ブルリフシリーズは今すぐサントラのサブスクを解禁して下さい。

 始めは自分は壊れていると言って諦めていた駒川詩ですが、愛央や陽桜莉との交流や雫世界での経験を経てもう一度自分と向き合う覚悟を固め、自分が祖母からずっと与えられ続けてきていたものや、それに対する自分の感情に自分なりの答えを見つけようと模索していきます。その果てに、「痛み」ではない自分が本当に求めていたものを見つけて、自分を肯定できるようになる……「帝」における駒川詩の描かれ方は、「澪」における彼女の本質が「孤独」であり、何らかの形で自分にも理解できる繋がりを模索し続けた結果「痛み」に行き着いたという解釈を裏付けるものだったのではないでしょうか。

それはそれとして「澪」の頃の駒川詩はペルソナとして襲い掛かってくる!!

自分にとって駒川詩とは何だったのか

 初めて「ブルリフ澪」を見た時、自分は駒川詩は現実離れしたキャラクター性で話を回す面白ヴィランとしか思っていませんでした。だから、「帝」で駒川詩の本質が明かされた時、頭をフライパンで殴られたような衝撃を受けました。そこにいたのは、間違いなく自分の身にも覚えがある「人間」だったからです。前章で駒川詩は人間というよりアンドロイドや上位存在に見えると書きましたが、その根底にある「感情が理解できない、理解できないものは嫌だ」という感覚は、誰しも多少は抱えているものだと思います。彼女はたまたまその感覚が他人より強かっただけに過ぎず、普通に人との繋がりを求めるし普通に傷付いたり悲しんだりする存在だったんです。彼女が痛みに固執していたのも、本当に痛みを愛していたというよりは、あまりにも共感性が低かったために「痛み」しか他人と分かち合うことができなかったからなんです。自分はこの部分において、駒川詩はエポックメイキングなキャラクターだなと感じました。友情や愛、あるいは相互理解といったテーマを取り扱った作品において、「そもそもそういった概念が理解できない」という存在はあまり見てきたことがなかったからです。あえて最近読んだ作品から近い存在を挙げるなら、「さよなら幽霊ちゃん」の氏優莉先輩でしょうか?

「生まれつき抱えてきた生きづらさと折り合いをつけながら生きていく」という点においては、「またぞろ。」にも近いかもしれません。最近、これらのような人間関係や人間個人にフォーカスするタイプの作品は、いわゆる「陰キャ」がメインに置かれていた時代からも脱し、更なる複雑化を見せているように感じます。そういった環境の中で、駒川詩もまた彼女だけの悩みを抱えていました。そして彼女は「痛み」という結論に至り、自己完結してしまった。このような完全なるニヒリズムに陥ってしまった存在をどうやって救えば良いのかというテーマは、これからの日常系において積極的に取り組まれていくべき課題だと感じます。

 「澪」において彼女が被っていた仮面は、「帝」で記憶喪失という形で半ば強引に引き剝がされました。それにより彼女はもう一度周囲や自分自身と向き合うチャンスを得ます。そのことに嬉しさを覚える半面、「澪」時代の彼女にも誰かが寄り添い、救おうと手を差し伸べることができたなら、その先に彼女に救いはあったのかということもぜひ見てみたいと思いました。「澪」と「帝」の間の話を取り扱うであろう「燦」に期待したいですね。

 とにかく「BLUE REFLECTION」シリーズは本当に面白いので、ぜひ皆さん触れてみてください。どれかに触れた人は、その勢いで他のタイトルにも触れてみて下さい。

それでは今回はこのあたりで。ありがとうございました。

 

 

はみ出し者たちの理想郷 「はなまるスキップ」

こんにちは。Tzと申します。

突然ですが皆さん、ぽかぽかしていますか?していないと答えたそこの貴方!良くないですね今すぐ「はなまるスキップ」を読んでぽかぽかしましょう。していると答えたそこの貴方!素晴らしいですね今すぐ「はなまるスキップ」を読んでもっとぽかぽかしましょう。そんなわけで今回は「はなまるスキップ」について書いていきます。

 

 

 「はなまるスキップ」とは?

 「はなまるスキップ」とは、つい先日(2021/05/27ぽかぽか記念日)第一巻が発売された「ピクニックによるピクニックのためのピクニック漫画」です。(「はなまるスキップ」第一巻カバー袖より)

www.amazon.co.jp

試しに表紙を見てみると、いかにも和やかにピクニックをしている姿が似合いそうな可愛らしいキャラクターたちが目に入ってくることでしょう。しかし、その印象は第一話から大きく裏切られることとなります。本作の実態は、「それぞれの思惑を胸に集まった問題児たちが、その問題児っぷりを全開にして好き勝手する新感覚ギャグ4コマ」です。聞いただけではよくわからないと思うのでまずは自分の目で確かめてみてください。以下のサイトで7話まで無料で読むことができます。

seiga.nicovideo.jp

本作の特徴については既に多くのブログで詳細かつ愛に満ちた記事が公開されておりますので本記事ではその部分は軽く触れる程度に留め、主に「はなまるスキップ」のテーマとは何なのか?ということについて考えていきたいと思います。

はみ出し者がはみ出し者でいられる世界

「はなまるスキップ」は一見ただ無法者が徒党を組んで無法を働くだけの無秩序なギャグ漫画に見えます。彼女たちは基本的に己の欲望と損得勘定のみで行動しており、良識や順法精神といったものはほとんど持ち合わせておりません。その結果、他人の善意や頑張りを平気で踏み躙ることもあり、そういった部分が暴力的であるという事実は否めないでしょう。しかし自分は、この漫画はそのような攻撃性を面白おかしく取り扱っただけの漫画ではなく、万人が共感できるような普遍的テーマを秘めた漫画であると考えています。以下の二コマはその象徴とも言えるでしょう。

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「はなまるスキップ」第一巻110ページより

 このセリフからは「ありのままを肯定する」という星見はるの、或いはピクニック同好会の理念が読み取れます。

また、原作者であるみくるん先生は「はなまるスキップ」というタイトルの由来について、

「ねすごしちゃっても 授業をスキップしちゃっても みんなはみんなのままではなまるだよ🌸」

という文章であると述べています。

 先ほどの二コマと同じように、この文章からも「ありのままで良い」という強いメッセージを読み取ることができます。「はなまるスキップ」はタイトルの時点で既に一人一人の"ありのまま"に寄り添うという強い意思表明をしていたのです。

そう考えればこの漫画は決してきららにあるまじき異端児などではなく、寧ろ近年のきららに置いて勢いを増しつつある、何かしらの要因で大多数から外れてしまった者たちに寄り添う作風に連なるものであると言えます。「ぼっち・ざ・ろっく!」や「星屑テレパス」が孤独な少女が仲間と巡り会い様々な経験を通して一つの目的に向かって邁進していくようになる様を描いているように、「ななどなどなど」が斜に構えて世の中を見ている少女の日常をコメディチックに表現しつつその根底にある恐れや不安と彼女を取り巻く世界について真摯に向き合っているように、或いは「またぞろ。」が留年という決して取り消すことが出来ない挫折を経験した少女たちがその痛みや自分自身と向き合ったり誤魔化したりしながら少しずつ日々を前に進めていく様を描いているように、「はなまるスキップ」は通常なら世界から弾き出されたり抑圧されたりしていたはずの少女たちの”ありのまま”を肯定し、彼女たちが彼女たちらしく生きられる世界というものを描いているのです。

私は個人的に、この「全てを肯定する」というスタンスこそが多くの人々が「はなまるスキップ」に単なる無法以上のものを感じ取っている原因なのではないかと考えます。我々は多かれ少なかれ「こうしなければいけない」という思いを感じながら生きています。それは課せられたタスクだったり、周りの人々からの同調圧力だったりするかもしれません。そうやって生きている内に周りとずれていたり、能力不足だったりする自分自身のことが嫌になってしまうことも多々あると思います。しかし「はなまるスキップ」の世界は違います。作中において、彼女たちはまさしく純粋な子供の様に全てをむき出しにすることを許容されています。実際に行動に起こした場合については他の誰かの欲望や気持ち程度には存在している法とぶつかり合って阻止されることもありますが、少なくとも己の気持ちも欠点も一切取り繕うことなく表現し、ぶつけ合うことについては認められています……まるで赤ちゃんの様に。

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赤ちゃん。かわいいね。冗談みたいな絵面だが、意外にもはなまるスキップの本質に通じているのかもしれない。

それはただの開き直りに過ぎないのかもしれません。しかし私は、自由奔放に生きている彼女たちの姿を見ているとその蛮行に恐れをなす一方で、なんだかんだ言いながら彼女たちのお互いに本性をぶつけ合える関係に暖かさや小気味良さを感じてもいるのです。社会の中で上手くやっていけない人たちの異常性や欠点も丸ごと受け止める「赦し」の精神が根底にあるからこそ、「はなまるスキップ」は単なる面白暴力漫画に留まらない魅力を得ているのだと私は考えます。

おわりに

まんがタイムきららは非常に競争が激しい雑誌です。多くのファンを抱えた素晴らしい作品が、惜しまれながら2, 3巻で完結する……なんてこともしょっちゅうです。もしこの記事を読んでくれた貴方が少しでも「はなまるスキップ」に興味を抱いたのなら、是非第一巻を購入してみてください。それがこの漫画に対する何よりもの応援になるでしょう。そして一巻を読んでみて何か感じるものがあったのなら、共に雑誌で連載を追いかけましょう。既に何人もの方がそれぞれの記事で触れられていますが、「はなまるスキップ」は作中の時間経過が現実とリンクしている上に、積極的に時事ネタを取り入れていくスタイルなのでリアルタイムで連載を追いかけるのが最も鮮度を失わずに本作を楽しむ方法なのです。更に「COMIC FUZ」という芳文社の公式アプリの月額プランに申し込めば、なんと月たったの500円弱できらら系列の雑誌4つが毎月発売日の0時から読むことができます。現在まんがタイムきららはこの「はなまるスキップ」を始めとして、無印の「星屑テレパス」、「しあわせ鳥見んぐ」、「探偵夢宮さくらの完全敗北」、MAXの「ぬるめた」、「ホレンテ島の魔法使い」、「妖こそ怪異戸籍課へ」、「瑠東さんには敵いません!」、フォワードの「アネモネは熱を帯びる」、キャラットの「またぞろ。」、「ニチアサ以外はやってます!」などなど、単行本未発売~一巻発売くらいの比較的新しい連載が非常に勢いがあり、それ以外にも安定した面白さを誇る数々の漫画が連載されています。(個人的には「ななどなどなど」をもっと沢山の人に読んでもらいたいです。「ななどなどなど」読んでね)この記事を読んで下さったことを切っ掛けに、この圧倒的無法とその裏に隠された優しさの物語、そしてまんがタイムきららの世界全体に魅了される人が少しでも増えてくれることを切に望みます。

それでは本日はこのあたりで。またお会いしましょう。

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私のおススメコンテンツその②「十三機兵防衛圏」

みなさんこんにちは、Tzと申します。

何とかモチベが続いたのでおすすめコンテンツ第二回を書こうと思います。二回目でいきなり漫画では無くなっていますがご了承ください。

さて、今回私が紹介するのはPS4で発売中のゲーム「十三機兵防衛圏」です。

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↓公式のPV。多少序盤のネタバレを含んでいるので視聴は自己責任でお願いいたします。

www.youtube.com

 このゲーム、ちょっと突っ込んだことを書くとすぐネタバレにぶち当たりそうなので本当にざっくりと内容を紹介すると、

「様々な事情を抱えて集まった13人の主人公たちが、機兵というロボットに乗って攻め寄せてくる怪獣から世界を守る」

というゲームです。13人の主人公たちの視点を自由に切り替えながら真相を解き明かすADVパート追想編」と実際に機兵を操作して怪獣と戦うSLGパート「崩壊編」を交互にクリアしながらストーリーを進めていくことになります(実際にはこの二つに加え、判明した情報や一度見たイベントを閲覧できるアーカイブ「究明編」もあります)。

本作の魅力は何といっても追想編」のクオリティの高さでしょう。前述した通り、本作は13人のキャラクターたちの視点を自由に切り替えてそれぞれのストーリーを進めながら全体の真相に迫っていくという構成になっているのですが、この「最初は点と点だった各キャラのストーリーが徐々に繋がりだし、最終的に一本の大きな物語になる」というプロセスが非常に巧妙なのです。各キャラクターは立場も、目的も、与えられた情報もてんでバラバラです。その上これらの物語は時系列上では並行して発生しているものもあれば、他のキャラクターのストーリーの完結後に発生しているものもあります(SIRENというゲームをプレイしたことがある方はそれのタイムラインを想像していただくとイメージしやすいと思います)。それらがプレイヤーには同時に与えられるため、始めは理解が追い付かず困惑することも多々あるかもしれません。しかし全体を進めることで、あるストーリーでは謎だった箇所が別のストーリーで補完され、最終的に一本の完成された物語として組み上がっていきます。その様はまさに圧巻の一言です。

ストーリーそのもののクオリティも非常に高く、13個にストーリーを分割してパズル形式で組み上げさせるなんて構成にしただけあって次から次へと謎が飛び出してきます。一つ一つの謎自体も一筋縄ではいかないものばかりで、こちらがある程度予想がついてきたかなと思ったタイミングで予想とは食い違う新たな情報が開示されてまた考え直し、なんてこともしょっちゅうです。しかしその分、全ての謎が繋がり一連の事実として理解できた時の快感は凄まじいものがあります。

 ↑これは半分冗談ですが方向性としてはそこまで外れてはいないんじゃないかと思います。

追想編」のクオリティに対して「崩壊編」はやや簡素な部分は否めません。しかし、だからと言ってつまらないということは決してありません。押し寄せてくる圧倒的な物量の怪獣をスキルや機体を工夫して組み合わせて迎え撃ち、うまく作戦がハマった時の爽快感は中々のものです。また「崩壊編」はストーリーの時系列上で「追想編」も含めて最後尾に位置しているため、序盤はキャラクターたちの意味深な掛け合いに物語を先へ進めるモチベーションが掻き立てられ、ストーリーにおける「崩壊編」の意味が明かされる後半はその重さに手に汗を握りながらプレイすることになるでしょう。「崩壊編」まで含めて、一つの物語として完成するのです。

本作品はPS4独占タイトルであることがネックなのか、そのクオリティの割に観測範囲内ではあまり遊ばれていないように感じます。本当に名作なので機会があれば是非手に取ってプレイしてみて下さい。

それでは今回はこの辺で、また機会があればお会いしましょう。

私のおススメ漫画その①「湯神くんには友達がいない」

Tzと申します。今日からブログを始めていきたいと思います。不定期・低頻度更新かつ内容も軽いものが中心になるかと思いますが、ゆるい感じで見て頂けると幸いです。

さて今回は初回ということで、普段はあまり話さない私の好きな漫画についておススメでもしようかと思います。

今回おススメする漫画は、「湯神くんには友達がいない」です。

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この漫画は週刊少年サンデーで連載されていた漫画で、全部で16巻あります。内容をざっくり説明すると、「成績優秀かつ野球部のエースという文武両道だが、その拘りが強すぎる性格のせいでクラスでも部活でも浮いている主人公湯神くんと、そんな彼にひょんなことから関わってしまった転校生の綿貫さんを中心に繰り広げられる学園コメディ」です。個人的には学園ものの漫画の中でもトップクラスの傑作だと思っています。

この漫画を語る上で、主人公湯神裕二の強烈なキャラクターについての言及を避けて通ることは出来ないでしょう。彼はタイトル通り教室でも部活でも友達らしい友達のいないいわゆるぼっちなのですが、そのことを全く意に介していません。彼にとっては自身の拘りに従って日々を過ごすことが何よりも優先されるべき事項であって、その結果他人にどう思われるかなんてことは二の次三の次でしかないのです。おまけに理屈の通らないことが大嫌いなので、自分が納得できないことには絶対に首を縦に振りません。そんな彼の生き様は、もはや「高校生」というより何かの「職人」と表現した方がしっくりきます。当然そんな生き方をしていればトラブルも多く、彼は作中何度も何度も苦難に見舞われます。しかし彼は決してへこたれることなく、さっさと切り替えてまた前へ進もうとするのです。責任を引き受けた上で、自分で選択して生きる……彼の生き様からはそんな気概が感じられます。

そんな湯神くんと並んで重要なのがこの物語のヒロインにしてもう一人の主人公である綿貫ちひろさんです。彼女は幼い頃から親の都合で転校を繰り返し続けた結果、「空気を読んで合わせる」ことは得意でも「素の自分を受け入れてくれる友人を作る」ことは苦手な性格になってしまいました。そんな彼女は物語冒頭で舞台の高校に転入してくるのですが、転入早々トラブルに遭ったところを湯神くんに救われ、クラスで気の許せる友人が中々作れなかったこともありズルズルと湯神くんと交流を持つことになってしまいます。その後彼女は湯神くんの奇行をドン引きしつつ何とか読み解いてツッコミを入れたり、逆に湯神くんからやけに上から目線かつ言葉足らずなアドバイスを貰って友達作りに奔走したりと自分なりに状況を打開すべく頑張っていくことになります。

この二人の関係性の変遷と言うのがこの漫画の大きな肝で、最初は成り行きで関わることになった二人ですが、物語が進むにつれ徐々に互いが互いを補うような関係になっていきます。そんな二人の奇妙な「共生」がどうなるのか、是非読んで確かめてみてもらいたいと思います。個人的には14巻69話が本当に大好きなので是非そこまで辿り着いてもらいたい。相手に対する漠然とした感情を改めて整理するタイプの話好きでしょ?

今回は主人公二人について中心にプレゼンしましたが、この漫画は脇を固めるサブキャラも良いキャラ揃いです。自分は湯神くんの部活の後輩にして主な被害者幼馴染の門田くんが好き。

以上になります。「湯神くんには友達がいない」、本当に面白い漫画なので是非読んでみてください。サンデーうぇぶりというアプリを使えばポイント制ではありますが全部読めます。そして気に入っていただけたらどうか単行本を買って下さい。僕はこの漫画のアニメ化をまだ諦めていません。

それでは今日はこの辺で。また第二弾があったらお会いしましょう。